病院の中庭です。春には一面タンポポの花が咲きます。当医局が「お花畑」状態という意味ではありません。念のため。

2016年8月27日土曜日

神経発達症の人のための人間関係マニュアル07(L.カナーの成功例01)

ブログ管理担当のまさぞうです。

今日の基準からすると非常に重症の自閉症でありながら,
専門的援助なしで良好な社会適応を果たした
L.カナーの12症例のうち,第1例を紹介します。

症例1:トーマス・G

トーマス・Gは1936年9月11日生まれ。
ジョンズ・ホプキンス病院には母方祖母につれられて,1943年4月19日に初診。
初診時記録は次の通り。

診察時,彼はひどいお馬鹿さんのように振る舞った。
彼はまず靴にキスをし,次に腕時計,そして置き時計にも次々とキスをした。
彼は年齢の割に驚くほど頭が良く,いわゆる悪童タイプではなくて,女の子よりも静かなくらいだった。
彼は他の子供と遊ぼうとはせず,自宅の近くにある学校が終わるとすぐに帰宅し,ドアを閉めて家に閉じこもった。

トーマスは満期産で出生。母親は当時17歳だったが,妊娠中に「腎臓の問題」を抱えていた。出産は正常で,出生児体重は3175g。生後6ヶ月で座り,初歩は18ヶ月。2歳ではしかにかかり,3歳時に扁桃摘出術とアデノイド切除術(T&A)を受けた。他に重大な身体疾患の既往歴はない。

トーマスの父親はイタリア系の家具職人で,1941年に結核療養所で死去した時には31歳であった。トーマスの父方祖父は市の楽団の指揮者。父の叔父は作曲家だったという。

トーマスの両親が一緒に住んでいたのは,1936年の1月から12月の間だけだった。母親はトーマスの世話をほとんどしなかった。母親は(実際には存在しない)トーマスの結核が感染することを恐れて母子の接触を最小限にし,しばしば一人で長時間外出した。その間トーマスの面倒をみたのは,ニューヨークで「生活保護(on relief)」を受けていた父方祖母である。

トーマスが4歳近くになって,結局母方祖母が彼の世話をすることになった。その時トーマスはまだトイレットトレーニングができておらず,言葉も出ない状態であった。この母方祖母の養育を受けてトーマスは急速に発達し,小学校入学の前には再婚していた実母と同居することになった。

トーマスは小学校に入学したものの,やがて「奇妙な行動」でクラスになじめないことが判明した。教師の指示に従わず,他の子供の靴にキスする強迫行為が止まらなかったのである。トーマスは母方祖母のもとに戻されたが,この祖母が孫の異常を心配して,ジョンズ・ホプキンス病院初診の運びとなった。

トーマスは身体的には全く健康であった。質問にはきちんと答えることもあったが,時にじっと前方を見つめたままだったり,クスクス笑ったりすることもあった。彼は腕時計に強いこだわりを持ち,自分で独特の名前をつけていた。「僕はマキマキ時計(dishnish:腕時計をさす造語)で遊ぶのが大好きなんだ。チクタク動くのを見るとワクワクして,ハジカシク(embarranness)なるんだ」

トーマスは2人の祖母を年齢で呼んだ。「一人は64歳で,一人は55歳だ。僕は55歳のほうが好きだ」また彼は数字全般にこだわりがあり,診察室に辞書やシアーズ・ローバック(アメリカの通信販売会社)のカタログが置いてあると,必ずそのページ数を確認した。

トーマスはジョンズ・ホプキンス病院のお気に入りのソーシャルワーカーのところへ数年間通った。数字や腕時計へのこだわりは強かったが,熱中する対象は年とともに変化し,計量カップ,地図,そして天文学へと移っていった。

トーマスはデッサンが好きで,性格は非常にまじめ。悲しい絵や物語を見ても決して泣いたり取り乱したりしなかった。質問などへの反応はやや遅く,学校での出来事を尋ねられると,「ちょっと待って。まず頭を整理するから」ということが多かった。他の子供達と一緒にいる時には,自らリーダーシップをとろうとはしなかったものの,ゲームなど集団活動には参加していた。ピアノのレッスンを受けて奨学金を獲得し,いつも演奏することを楽しんだ。

12歳の時,トーマスは小学校6年生でクラス最優秀の生徒であった。学校側は彼が「適応した」と考えていたが,実際には周囲から「変なやつ(queer fellow)」と思われていた。トーマスの学業成績は素晴らしかった。トーマスは体育委員,芸術クラブ,新聞委員をそれぞれ1学期ずつつとめ,放課後には図書室で司書を手伝った。フォークダンスの発表では中心的役割も果たしている。

教師は彼の優れた学業成績を高く評価し,「作業は遅いが,提出物の内容は素晴らしい」とコメントした。クラスでは他の子供達から受け入れられているともいえなかったが,そうかといって完全に拒絶されているわけでもなかった。トーマスはいじめやからかいの対象になることが多かったけれど,彼自身はそれを無視するのが一番良い方策だと考えていた。彼は「やり返せば状況はよけい悪くなる」ということを経験から学んでいたのである。

高校を卒業すると,トーマスは奨学金を得てジョンズ・ホプキンス大学に入学した。ただこの奨学金は大学での成績不振から,2年で打ち切りになっている。彼はその後軍隊に招集されたが,入隊から5ヶ月後,反応の鈍さを理由に医学的検査を受けることになった。病院で検査を受けていた時,トーマスは突然てんかん大発作を起こし,これを理由に軍隊は除隊になった。

トーマスは大学の夜間部に戻り,何とか卒業してカレッジの学位を得た。抗てんかん薬の服用を怠るとてんかん発作が再発することが多かった。

トーマスは天文学と音楽に興味があり,これは彼を個人的に満足させるだけでなく,社会参加にも役立った。彼はボーイスカウトのリーダーをつとめ,そこで頼まれて天文学を教えたり,ピアノを演奏したりした。水泳クラブ,陸上クラブに所属し,科学や天文学の本を熱心に読んだが,小説などのフィクションには興味を示さなかった。

トーマスはいくつかの仕事についた。政府機関での書類管理の仕事を5年間勤めた後,軍の検査センターで電気・科学関係の仕事をした。

1969年の時点でトーマスの祖母は83歳であり,老人ホームに入っている。トーマス自身は抗てんかん薬の服薬中断からてんかん発作が再発し,これが原因で失職した。しかし彼は機敏に立ち回り,とりあえずの収入源として慈善団体での仕事を確保した。トーマスは数年前にマイホームを購入し,自分の車も持っている。自宅にいる時は趣味のピアノを演奏したり,テープレコーダーで音楽を聴いたりして楽しんでいる。彼は異性への興味・関心はなく「女の子にはお金がかかりすぎる」という。

2016年8月14日日曜日

神経発達症の人のための人間関係マニュアル06(L.カナーの成功例00)

ごぶさたしておりました。ブログ管理担当者のまさぞうです。

陽明学の話がもう一つのこっているのですが、下調べに時間がかかるため、「人間関係マニュアル05」は後日アップすることにして、別のトピックに移ることにします。

これからしばらくは、自閉症の発見者,米国のL.カナー先生の症例報告を紹介します。「幼児期に明らかな自閉症の特徴を呈したが,その後良好な社会適応を果たした12例」です。

これは,能力の高い自閉症の人たちが成人して社会に出た時にどんな問題が生じるか,という実例を数多く紹介した好著,P.ハウリン著「自閉症 成人期に向けての準備」ぶどう社の記事から出発します。

「自閉症 成人期に向けての準備」では,自閉症研究の歴史をふりかえる中で,この分野の第一人者であるL.カナー(Leo Kanner: 1894〜1981)先生の追跡研究を紹介しています。

カナー先生は1943年に米国のジョンズ・ホプキンス病院で自ら診察した特徴的な11人の子供達についてのレポートを発表し,それを「幼児自閉症」と名づけました。
さらにカナー先生は1930-50年代に幼児自閉症と診断した96名のケースを,その後約20年間にわたってフォローアップし,1971-1972年にその追跡調査の結果を発表しています。つまり「自閉症の子供が大人になったらどうなるか?」ということを20年かけて研究したのです。

そこでは幼少期には他の子供達とまったく違わなかった96名中12名のケースが,思春期以降に大きな成長を遂げ,専門的援助なしで良好な社会適応を果たした,と報告されています。
あえて誤解を恐れずに言えば,「非常に重症なカナーの自閉症でさえ,その約1割の症例は独力で治る」という事実が,自閉症の発見者であるカナー先生自身から報告されているのです。

正確には最も成功した1例(ロバート・F)が
Proc Annu Meet Am Psychopathol Assoc. 1954-1955:227-39; discussion, 285-9.Notes on the follow-up studies of autistic children.Kanner L, Eisenberg L.
に紹介され(これは1950年代の論文です),

2例(ドナルド・Tとフレデリック・W)が
J Autism Child Schizophr. 1971 Apr-Jun;1(2):119-45.Follow-up study of eleven autistic children originally reported in 1943.Kanner L.
に記載され,

他の9例は
J Autism Child Schizophr. 1972 Jan-Mar;2(1):9-33.How far can autistic children go in matters of social adaptation?Kanner L, Rodriguez A, Ashenden B.
で見ることができます。

まさぞうの見解では,この追跡研究は21世紀の現代においても非常に大きな意味を持つと思います。

まず,重症な自閉症が「専門的援助なしでも治る」という事実です。「治る」という表現に問題があれば,「良好な社会適応を果たした」ということになるでしょうか。ロバース法のような例外を除き,一般には完全に普通の人と同じになるのは難しいとされていますので。カナー先生の基準では,おおまかに「一般就労ができる」あるいは「一人暮らしができる」といったところが,良好な社会適応と判断する条件のようです。

カナー先生が発見した自閉症は,今でいう「自閉スペクトラム症」の一部です。幼少期から言語能力の問題,他者との感情的交流の乏しさ,繰り返しを好むなどの明らかな特徴がみられ,「カナータイプ」ともいわれるこの古典的自閉症の発現頻度は,カナー先生が非常に厳密に診断基準を適用したこともあって,2千人に1人とも5千人に1人とも言われていました。

(カナー先生の厳格な診断ぶりについてはTEDビデオ

忘れられていた自閉症の歴史

をごらん下さい。)


現在,カナー自閉症を含む自閉スペクトラム症の出現頻度は,約1%(100人に1人)といわれています。つまりカナー先生の報告した「成功した12例」は,最近見つかってくる軽い自閉スペクトラム症にくらべて,約20倍も重症(?)といえるかもしれません。

しかも当時,自閉症は発見されたばかりです。当然,今日のTEACCHプログラムのような支援システムはありませんし,治療・援助の方法もまったく分かっていませんでした。12人の自閉症児は完全に独力で,試行錯誤と工夫努力の結果,社会の中での自分の居場所を確保したのです。

さて,今回なぜこの40年以上も前の古風な症例報告を紹介するのでしょうか?それは現代に生きる自閉症スペクトラムの皆さんに,「自閉症者にとってお手本となるライフスタイルの実例」を提案したいと思ったからです。

現在,自閉症に対する研究が進み,幼少時から明らかに普通と違う重症自閉症児に対しては,特別支援教育などの援助が手配されます(幼児期には早期集中行動介入のような特別な方法もあります)。
ところが幼少期には異常があまり目立たず,学校もそれなりに卒業したが,仕事がどうもうまくいかない,といった能力の高い(あるいは程度の軽い)自閉スペクトラム症の人たちは,既成の生活・就労援助の枠組みに入れず,困ってしまうことがあります

つまり,すでに療育の時期は過ぎていて,教育的対応を受ける年齢ではありません。職場での不適応は明らかながら,「仕事は期限までに終わらせましょう」といった基本的な社会的スキルは(いちおう頭では)理解しているので,通常の就労支援プログラムはレベルの面で物足りない,という人たちです。

彼らは多くの場合,知的能力には問題ないのですが,コミュニケーションがうまくとれない,人間関係が苦手,応用・融通が利かないなどの問題を抱えて,悩み苦しんでいます。自閉症の程度が軽いからといって,その苦しみの程度が必ずしも軽いとは限りません。しかも場合によっては障害の程度が軽いために,かえって種々の社会的援助の対象外になり,まったく外からの援助なしで自分の障害と戦っていかなければならない場合もあるのです。

これから御紹介する12例の自閉症者は,今日の基準から見ると非常に重い障害をもちながら,専門的援助なしで社会の中での居場所を確保した,とても偉い人たちです(まさぞうの個人的意見)。カナー先生はこの追跡研究で「自閉症の『自然経過(natural history)』が明らかになるだろう」と言っています。カナーの成功した12例のライフスタイルを研究すれば,現代の自閉症者にとっても失敗・ストレスの少ない生活スタイルが見つかるのではないでしょうか。

これから紹介していくケース報告は本当にナマの実例ばかりなので,そこから何を学ぶかは読者それぞれで異なると思われます。
カナー先生自身は論文の考察に,「良好な社会適応を果たしたケースでは,十代の半ばで著しい変化が生じた。彼らは他の多くの自閉症の子供達と違って,自分のおかしな所に気づいて困惑し,それを何とかしようと意識的に努力し始めた。そしてその努力を年齢とともにさらに強めていった。例えば彼らは『若者は友達をつくるものだ』ということを発見し,自分には通常の友達関係を作るのが難しいと自覚すると,自分の得意分野を利用して他者とコミュニケーションをとる(知り合いを作る)という戦略をとった」と書いています。
まさぞう自身の感想・見解は,全例終了後にお示しする予定です。

1〜2週に1症例のペースで紹介していきたいと思いますが,実際にはなかなか難しいかもしれません(笑)。では自閉症の偉大な先人達の生きざまを,じっくりと見ていきましょう。

2016年1月2日土曜日

神経発達症の人のための人間関係マニュアル04

おひさしぶりです。
ブログ管理担当のまさぞうです。

今回は陽明学の話になります。

陽明学というのは,中国の明の時代に生きた
王陽明(おう ようめい [14721529]という人が始めた儒教の一派です。
「何だ,また古くさい儒教のお説教か」といわないで下さい。
確かにこのブログでは「人間関係のマニュアル」
というタイトルでありながら
儒教の経典の話が繰り返し出てきます。

これはなぜかといいますと,
実は儒教(儒学)というのは本来,
宗教や哲学というよりも,
現世での処世術(社会生活のマニュアル)に近い学問思想なのです。

儒教の創始者である孔子(こうし)[BC552〜BC479]は
今から約2500年くらい前の人ですが,
この人は優れた学識,人格と政治的手腕を持ちながら,
生涯のほとんどを浪人あるいは私塾(教団)の教師として過ごしました。

孔子の教えが世に広まったのは,
御本人の業績というよりむしろ優秀な弟子たち
子貢子路冉有といった人たちが有名です)
が諸国で高く評価され,
その人達が師匠である孔子先生のことを
宣伝したからだともいわれています。

その教えの内容はごく大雑把にいえば,
孔子先生自身の言行録(論語)のほか,
孔子がお手本とした周国が盛んだった頃の
政治・歴史などに関する文書(六経)を勉強することで,
優れた人物(君子)になろうということです。

仏教のように悟りを開くことを目指したり,
キリスト教のように来世での救済を期待したりするのではなく,
今ある社会組織の中でどう生きていくかを考える,
そういう意味では儒教はそのまま
社会生活のマニュアルといえなくもありません。

儒教は創始者孔子の死後,時の政権に迫害されたり
保護されたりという経過をへて,孔子から約1600年たって
宋代の朱熹(しゅき)[1130-1200]に至ります。
朱熹(朱子)はどちらかというと断片的・経験的・直観的であった
儒教の経典を整理・統合し,体系的哲学として完成させました。

この朱熹を始祖とする「朱子学」は
やがて中国の官吏登用試験の正式科目となり,
圧倒的権威を持つようになります。
また日本でも徳川幕府の正学(正式な学派)として認められ,
江戸時代の武士の精神構造を支える背骨となります。

朱子学の基本はごく簡単にいえば,
「儒教のテキスト(四書など)を広く深く読み込んでいくことで
人格を向上〜完成させ,最終的に聖人の境地に至る」
というところにあります。

道徳面で特に重視されたのは親子関係における「孝」で,
これは上位者に対する下位者の恭順(おとなしく従うこと)ですから,
いわゆる体制維持のためには非常に好都合な教えになります。
明でも清でも徳川幕府でも,朱子学が正式な学問となったのは,
こうした精神的な反抗(革命)防止の面が否定できません。

前置きが長くなりましたけれども,
西郷隆盛勝海舟をはじめとした幕末の武士たちが
精神的支柱とした陽明学は,この朱子学を背景として生まれました。

陽明学の基本は,
「聖人に至る道は,朱子学で重視する読書学問ではない。
人間にはもともと『良知』という,
天理・聖人と同質のものが心の中に備わっている。
この『良知』を実践すれば,
(この『良知』に従って生きれば)
難しい書物を読まなくても,
聖人の境地に達することができる」
ということです。

つまり難しい本をたくさん読まなくても,
自分の心の中にある良い部分に従って生きれば,
誰でも理想的な人物になれる(可能性がある)
ということです。

まさぞうのような凡人でも,
このブログをお読みの皆さんでも,
また神経発達症(発達障害)をお持ちの皆さんでも,
工夫・努力次第で理想的人物になれるということですから,
これはかなりおいしい話ではないでしょうか?

ちなみに陽明学の創始者王陽明
結核にかかって健康には恵まれなかったものの,
儒者には珍しく戦争指揮の能力があり,
数々の反乱を鎮圧して文武両道の才を示し,
「豪傑儒」とも呼ばれています。
(ただ外見は漫画ドラえもんに出てくるのび太君のようです。)

この陽明学は,江戸時代末期には
武士の正式科目(表の学問)である朱子学に対して
「裏の学問」とも呼ばれ,見込みのある学生限定で
ひそかに伝授されたケースもあったそうです。

内容的には別に秘密でも何でもありませんが,
幕府の正式学問ではなく,また社会的権威よりも
自分の心を信じるというところが
個人的には独善的態度,
また社会的には体制変革につながる可能性があると
考えられたのかもしれません。

また江戸時代の終わりに大阪で反乱を起こした
大塩平八郎が陽明学の有名な学者であったことも
危険思想(?)とにらまれるきっかけとなったでしょう。

この大塩平八郎はもと江戸幕府の優秀な役人でありながら
幕府の非道な政策に憤って反乱を起こしたという経緯から,
幕末の心ある人達からは義人として非常に高く評価されていたようです。

いずれにせよ,陽明学という儒教の一派があって,
その教えによれば難しい本をたくさん読まなくても,
自らの心の中にある「良知(良い心)」に従って生きることで
素晴らしい人間になれる(可能性がある)と言われていること,
またそれを実際に行って優れた人物になった例が
歴史上かなりいた,ということです。

学問知識よりも実践を重んじる陽明学の教えは,
現代に生きる私たちにも役立つと思うのですが,
いかがでしょうか?

2015年7月6日月曜日

ウィリス先生のお墓参り

ブログ管理担当のまさぞうです。

6月末にカナダのオタワ郊外にあるショービル(Shawville)という村で
G.C.ウィリス先生のお墓参りをしてきました。

左からまさぞう,末娘のパットさん,飼い犬(ノバスコシア・ダックトーラー)のオリバー君

大先生のお墓は自宅の隣の墓地にありますが,
それが距離にして約1km!

先生のお宅の庭には
リス,シカ,キツネがやってきて,
夜中にはオオカミの遠吠えが聞こえる
というすごい環境です。

まあ当院(北海道立緑ヶ丘病院)も
ついこの間,病院の500mくらい南で
ヒグマが目撃されてますから,
あまりよそのことはいえませんが・・・。

入職を考えておられる方のために言い添えれば,
前回このあたりでヒグマが目撃されたのは約20年前,
したがって次回の目撃談はまた20年後の予定です(笑)。

2015年6月5日金曜日

神経発達症の人のための人間関係マニュアル03

ブログ管理担当のまさぞうです。

「神経発達症の人のための人間関係マニュアル」第3回です。
今回のテーマは,
「人生結局まじめにやるしかない」
ということで,また夢も希望もなくて申し訳ありません(笑)。

今回も明治の元勲,西郷隆盛先生の登場です。
西郷南州遺訓7にいわく,
事大小となく,正道を踏み至誠を推し,
一事の詐謀(さぼう)を用ふべからず。
人多くは事の差し支ゆる時に臨み,
作略(さりゃく)を用いていったんその差し支え(さしつかえ)を通せば,
跡は時宜(じぎ)次第工夫の出来るように思えども,
作略の煩いきっと生じ,事必ず敗るるものぞ。
正道をもってこれを行えば,目前には迂遠なるようなれども,
先に行けば成功は早きものなり。

現代語に訳せば,
物事は問題の大小にかかわらず,小手先の策略を使わずに,
すべて誠心誠意をもって対応するべきである。
多くの人は物事が自分の思い通りに進まないと,
嘘やごまかしでその場を切り抜けようとするが,これはよくない。
その時は良いように思えても,後になってつじつまが合わなくなり,
結局失敗してしまうものである。
誠心誠意をもって真正面から問題に取り組めば,
短期的には遠回りのように見えても,
長期的には最も早く成功にたどり着けるのだ。
ということになるでしょう。

実はこれと同じようなことを、
明治維新のもう一方の立役者である勝海舟(かつかいしゅう)が言っています。

勝海舟 氷川清話
世間の人はややもすると,芳を千載に遺すとか,臭を万世に流すとかいって,
それを出処進退の標準にするが,そんなけちな了見で何が出来るものか。
男児世に処する,ただ誠意正心をもって現在に応ずるだけの事さ。
あてにもならない後世の歴史が,狂といおうが,賊といおうが,
そんな事は構うものか。
要するに,処世の秘訣は誠の一字だ。

これは現代語訳は必要ないでしょう。

勝海舟は江戸幕府が倒れたときの軍事総裁で、
幕府側の事実上の最高権力者として薩長軍との交渉にあたり,
江戸の無血開城を実現しました。
薩長軍の総司令官西郷隆盛とは敵同士だったわけですが,
実はこの二人はお互いに相手を理解し,尊敬しあっていて,
本当の知己(親友)であったといわれています。
その親交の背景には,ともに「誠」を行動の規範とするという
共通の哲学があったわけです。

ここでいう「誠」,あるいは「至誠(最高の誠)」については,
世間一般には新撰組の隊旗に書いてあった文字として
知られているかもしれません。
ただこれの最も有名な出典は,
中国儒教の経典「中庸」です。

中庸 第11章1節
誠なる者は,天の道なり。
これを誠にする者は,人の道なり。
誠なる者は,勉めずして中(あ)たり,
思わずして得,従容として道に中たる,聖人なり。
これを誠にする者は,
善を択(えら)びて固くこれを執(と)る者なり。

これは岩波文庫の現代語訳では
誠とは天の働きとしての窮極の道である。
その誠を地上に実現しようとつとめるのが,
人としてなすべき道である。
誠が身についた人は,
努力しなくてもおのずから的中し,
思慮をめぐらさなくてもおのずから達成し,
自由にのびのびとしていてそれでぴったりと道にかなっている,
これこそ聖人である。
誠を実現しようとつとめる人は,
努力をして本当の善を選び出し,
そのうえでそれをしっかりと守ってゆく人である。
となります。

明治の文明開化以前の日本においては,
教養人はみな漢籍(中国の古典)を勉強していました。
これは現代日本のインテリがみな
第1外国語として英語を勉強しているのに似ています。

ですから江戸時代末期の武士にとっては
「誠」といえば
幼い頃から習い覚えた儒教経典「中庸」の一節が
すぐに思い出されたはずです。

西郷と勝は初対面(江戸無血開城の4年前)の時から
意気投合したといわれており,
これはあるいはお互いに相手の背景にある「誠」の思想を
感じとったからかもしれませんね。

江戸幕府と明治新政府の双方の最高権力者が
共通の処世の秘訣としてこの「誠」をあげているのですから,
「問題解決にあたっては小手先のごまかしをやらず,
ただ誠心誠意をもって正道を歩む」
というのが人間関係に対処する
秘訣であることは間違いないでしょう。

「誠」の思想は少なくとも「中庸」の成立した
紀元前3世紀頃(正確な時期は不明)までさかのぼることができます。
それが明治維新までの約2000年間真理であったとすれば,
明治維新から約150年後の現代においても
やはり真理であり続けているのではないでしょうか。

次回のブログではもう一つ西郷・勝に共通した思想背景として
陽明学の存在を考えてみたいと思います。

2015年3月31日火曜日

神経発達症の人のための人間関係マニュアル02

ブログ管理担当者のまさぞうです。

先月アップした,
「神経発達症の人のための人間関係マニュアル」
の続編です。

今回のテーマは,一言でいえば
「人を動かしたいと思えば,まず自分が一生懸命やるしかない」
ということです。
夢も希望もない結論ですみません(笑)。

一般に神経発達症の人は,
独りでする仕事は比較的得意だが,
チームワークや,管理職として部下に接するのが苦手と言われます。
コミュニケーションがうまくとれず,
また人の気持ちがよく分からないため,
相手の感情を逆なでするような行動をとってしまい,
同僚や部下から嫌われてしまうことが多いのです。

今回は日本史上最大のカリスマの一人,
西郷隆盛の登場です。
西郷隆盛(南州先生ともいいます)は明治維新の立役者の一人で,
維新の功業を立てた後,
明治十年の西南戦争で反乱軍の大将として死にます。

この人の人間的魅力は恐るべきもので,
たまたま反乱の時に居合わせた他県の若者が
「自分はここへ来て親しく西郷先生に接することができた。
一日(西郷)先生に接すれば,一日の愛が生じる。
三日先生に接すれば,三日の愛が生じる。
親愛の情は日に日に増して,もはや離れることなどできない。
今はただもう先生と生死を共にするだけだ」
と自ら戦死を選んだほどでした。

この西郷隆盛の言葉が「西郷南州遺訓」という本になって残されています。
岩波文庫版遺訓第4にいわく
「万民の上に位する者,己れを慎み,品行を正しくし,驕奢を戒め,
節倹を勉め,職事に勤労して人民の標準となり,
下民その勤労を気の毒に思うようならでは,政令は行われがたし」

現代語でいうなら,
「人の上に立つ者は,自らの行動を律し,贅沢をせず,
謙虚に仕事にうちこんで部下の模範となり,
部下がその苦労を気の毒に思うくらいでなければ,
下の者は動かない」
ということになるでしょうか。

いくら言葉で格好いいことをいっても,
上司が部下より短時間しか働かず,
多くの給料をもらって,イヤな仕事を人に回し,
威張りちらしていたら,
部下はいうことを聞いてくれません。

これは明治時代の日本だけの話ではなく,
古今東西を問わず優れたリーダーはみな
部下よりハードに働いています。

古いところでは古代ギリシアの賢人クセノポンは
「キュロスの教育」第1巻第6章8で
理想的君主として描かれているペルシアのキュロス大王に,
「一部の者は,支配者は支配下の者たちより高価な食事をし,
多くの黄金を家に所有し,長時間の睡眠をとり,
あらゆる点で苦労のない人生を送ることにより
支配下の者たちと異ならねばならない,と考えています。
だが私(キュロス)は,支配者は安逸に暮らすことによるのではなく,
前もって工夫をし,労をいとわないことにより,
支配下の者たちと異ならねばならない,と思います」
といわせています。

日本でも「日本書紀」第11巻に
仁徳天皇が民の家から竈の煙が立ち上っていないのを見て
その貧しさを憐れみ,3年間租税を免除したため,
3年後には天皇の宮殿は荒れ放題になったが民は豊かになったこと。
さらにその後3年間(合計6年間!)も租税を免除した結果,
民がみずから争って税を納め,使役に従事したので,
徴税再開後には荒れ果てた天皇の宮殿が
驚くべき速さで新築されたことが書かれています。

また江戸幕府役人の証言を集めた「旧事諮問録」第4編には
江戸幕府将軍の日常生活があまりに質素で多忙なため,
そばで仕える小姓たちがよく冗談に
「おまえは何になる。私は公方様(将軍)にはなりたくない」
といっていたとあります。

現代でも日産自動車の社長カルロス・ゴーン氏が
毎日早朝から深夜まで働くのは有名です。
あまりの長時間勤務に
「セブン-イレブン」と呼ばれていたとか・・・。

まあそういうわけで,
いい上司になるためには
質素倹約のライフスタイルに加えて
部下から気の毒に思われるくらい
一生懸命働かないといけないわけですね。
やれやれ。

私も西郷南州先生を見習って,
ハードワークと質実剛健の生活を心がけましょう。
仕事の合間には,先生の好物である
豚肉と甘い物でもいただきましょうか。
でも西郷先生の持病である
フィラリアや糖尿病は勘弁してほしいですね・・・(笑)。

2015年2月19日木曜日

神経発達症の人のための人間関係のマニュアル01

ブログ管理担当のまさぞうです。

Mさんとの約3年越しの約束で,
「神経発達症の人のための人間関係のマニュアル」
を作ることにしました。

Mさんのリクエストは,
「これさえやれば職場で円滑にやれる」
という対人関係のコツを教えてくれというものです。
決して簡単なテーマではありませんね(笑)。

儒教の古典,四書五経の一つである
「大学」に「絜矩(けつく)の道」というのがあります。
「大学」第六章第一節にいわく,

ここをもって,君子には『絜矩(けつく)の道』あるなり。
上に悪(にく)むところ,もって下を使うことなく,
下に悪むところ,もって上につかうることなかれ。
前に悪むところ,もって後に先だつことなく,
後に悪むところ,もって前に従うことなかれ。
右に悪むところ,もって左に交わることなく,
左に悪むところ,もって右に交わることなかれ。
これをこれ『絜矩の道』という。

これを岩波文庫の訳をもとに現代語訳すると,

そこで,優れた人物には『絜矩(けつく)の道』という方法があるのだ。
つまり,目上の人にされてイヤだと思うことは,
そんなやり方で目下の者を使ってはならないし,
目下の者にされてイヤだと思うことは,
そんなやり方で目上の人に仕えてはいけない。
前を行く人にされたらイヤだと思うことがあれば,
そんなやり方で後ろから来る人の前に立ってはいけないし,
後から来る人にされてイヤだと思うことがあれば,
そんなやり方で前の人についてはいけない。
自分の右にいる人からされてイヤだと思うことは,
そんなやり方で自分の左にいる人に接してはいけないし,
自分の左にいる人からされてイヤだと思うようなやり方で
右の人に接してはいけない。
こういうのを『絜矩の道』,すなわち身近な一定の基準をとって
広い世界を推しはかる方法というのである。

となるでしょうか。

注釈には『絜矩の道』について,
「『絜』は提携の意。『矩』はさしがね,定規。
さしがねを手にとってはかる,
つまり自分のまごころを基準として他を思いやること。
ここではそれを上下四方にわたって広く行うことを説く」
とあります。

つまり
「自分の心をものさしにして人の心を推察し,
自分がされてイヤなことは,
(人にとってもイヤなことだから)人にしないようにする」
ということです。

一言でいえば,
「自分がされていやなことは,人にもするな」
ということになりますが・・・。

これはいうのは簡単ですが,
実践するのは容易ではありません。
たしかに
「自分がされてイヤなことは人にはせず,
自分がしてほしいと思うことを人にしてあげる」
という生き方が実行できれば,
職場でも家庭でも好かれること間違いなしです(笑)。

ただそのためには自分の好き嫌いや利己心を克服する必要があり,
さらに発達の問題を抱える人たちにとっては,
自らのこだわりをおさえ,
定型発達者との心理的傾向の違い
(感情や世間的常識がわかりにくい)
などのハードルを乗り越えなければなりません。

ただ大まかな方向性として,
「自分がされてイヤなことは人にもしない。
自分がしてもらいたいことを人にしてあげる」
という生き方が,
対人関係円満の秘訣であるということです。

大げさに言えば
「東洋の賢人が教える対人関係の極意」
ということになりますね。

次回以降もこの種の
「言うは易く,行うは難し」
というお話になるでしょう。
またお時間があれば,おつきあい下さい。