病院の中庭です。春には一面タンポポの花が咲きます。当医局が「お花畑」状態という意味ではありません。念のため。

2011年5月19日木曜日

心の扉

私の人生の転機はいま思えば36歳頃だったと思います。
障がいをもった娘を授かったのが契機となり、研究の道を諦め、自分にとって全く新しい領域である障がいの子どもたちの臨床へと足を踏み入れた時でした。
もともと好奇心旺盛で猪突猛進する性格でしたので、何でも学び体験し実践してみようと、全国の有名な施設や先生を訪ねたり、発達心理学の本を読みあさったり、大学で自閉症療育の指導を受けたりしました。
そんな中で出会ったのが「抱っこ法」でした。その抱っこ法の講習会に娘を連れて初めて参加したのは平成10年の春のことでした。
娘には辛くても泣けずに笑ってしまう特性があり、初めての抱っこの時にも笑ってばかりいてなかなか泣けないでいました。ところが、阿部先生に抱っこしていただくと、先生の「お母さん、助けてなんだね」の一声で、すぐに大声をだして泣き出したのには本当に驚きました。
その後の石田先生と娘の筆談では「お父さんも苦しい、いっぱい苦しい。苦しいけど一緒に頑張ろうね。いつかお母さんも元気が出るよ。待っていようね。信じて待っていようね」と私に書いて伝えてくれ、その真心こもった言葉にただただ嬉しくて涙したものでした。
私が初めての講習会でお母さん4人の膝に抱っこされた時、両親の喧嘩に対して無力でいる幼児期の私のかなしい気持ちが思い起こされ涙が自然に出てしまいました。それが娘の気持ちと同じなのだと気がついた時、自分が父と同じ事を繰り返してしまっている悔しさとわが娘に対する申し訳けなさでいっぱいになりました。
後に受けた退行催眠では、柱の影から両親の喧嘩をみている自分の姿がイメージされ、そのときの自分のかなしい思いや両親それぞれの思いを改めて知ることになったのですが、「子どもは本当に親思いであり、悩み苦しむ親を助けられない自分の無力を嘆くものなのだ」とこれらの経験を通して実感させらました。
その後さまざまな体験を通して少しづつ私の心の歯止めは緩み、感情が自然に出入りするようになり、人前で話をしていてもあるシーンを思い浮かべただけで感情がこみ上げむせこんでしまうようになってきたのです。
そんなあるお母さんの「心の扉を開いてみれば」の一言が、さらに私の半開きの心の扉を開いてくれました。人の心の扉を開かせてあげたい、そんなお母さんの思いに動かされたのでしょう。
人はいっぱい語りたいのです。自分でもよくわからない、言葉にならないことでも語りたいのです。こちらが心の扉を開きさえすれば、いっぱい語ってくれ、言葉にならないことも語ってくれます。そうすると、自分の気持ちも素直な言葉で出てくるのです。
「ありがとう」「すばらしいね」「だいすきだよ」「生まれてきてよかったね」
いつとは知らず、何故かもわからず、誰のせいでもなく、傷つけられる幼い心。そんな心は傷つくことを恐れ、心の扉を閉め、心に歯止めをかけてしまいます。
閉ざした心は自分では気がつかないもの。閉ざした心からは外に何があっても見えないし、聞こえないし、触れないからです。誰かがノックしてあげないと気がつけないし、開け方も、開くタイミングもわかりません。

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