病院の中庭です。春には一面タンポポの花が咲きます。当医局が「お花畑」状態という意味ではありません。念のため。

2015年6月5日金曜日

神経発達症の人のための人間関係マニュアル03

ブログ管理担当のまさぞうです。

「神経発達症の人のための人間関係マニュアル」第3回です。
今回のテーマは,
「人生結局まじめにやるしかない」
ということで,また夢も希望もなくて申し訳ありません(笑)。

今回も明治の元勲,西郷隆盛先生の登場です。
西郷南州遺訓7にいわく,
事大小となく,正道を踏み至誠を推し,
一事の詐謀(さぼう)を用ふべからず。
人多くは事の差し支ゆる時に臨み,
作略(さりゃく)を用いていったんその差し支え(さしつかえ)を通せば,
跡は時宜(じぎ)次第工夫の出来るように思えども,
作略の煩いきっと生じ,事必ず敗るるものぞ。
正道をもってこれを行えば,目前には迂遠なるようなれども,
先に行けば成功は早きものなり。

現代語に訳せば,
物事は問題の大小にかかわらず,小手先の策略を使わずに,
すべて誠心誠意をもって対応するべきである。
多くの人は物事が自分の思い通りに進まないと,
嘘やごまかしでその場を切り抜けようとするが,これはよくない。
その時は良いように思えても,後になってつじつまが合わなくなり,
結局失敗してしまうものである。
誠心誠意をもって真正面から問題に取り組めば,
短期的には遠回りのように見えても,
長期的には最も早く成功にたどり着けるのだ。
ということになるでしょう。

実はこれと同じようなことを、
明治維新のもう一方の立役者である勝海舟(かつかいしゅう)が言っています。

勝海舟 氷川清話
世間の人はややもすると,芳を千載に遺すとか,臭を万世に流すとかいって,
それを出処進退の標準にするが,そんなけちな了見で何が出来るものか。
男児世に処する,ただ誠意正心をもって現在に応ずるだけの事さ。
あてにもならない後世の歴史が,狂といおうが,賊といおうが,
そんな事は構うものか。
要するに,処世の秘訣は誠の一字だ。

これは現代語訳は必要ないでしょう。

勝海舟は江戸幕府が倒れたときの軍事総裁で、
幕府側の事実上の最高権力者として薩長軍との交渉にあたり,
江戸の無血開城を実現しました。
薩長軍の総司令官西郷隆盛とは敵同士だったわけですが,
実はこの二人はお互いに相手を理解し,尊敬しあっていて,
本当の知己(親友)であったといわれています。
その親交の背景には,ともに「誠」を行動の規範とするという
共通の哲学があったわけです。

ここでいう「誠」,あるいは「至誠(最高の誠)」については,
世間一般には新撰組の隊旗に書いてあった文字として
知られているかもしれません。
ただこれの最も有名な出典は,
中国儒教の経典「中庸」です。

中庸 第11章1節
誠なる者は,天の道なり。
これを誠にする者は,人の道なり。
誠なる者は,勉めずして中(あ)たり,
思わずして得,従容として道に中たる,聖人なり。
これを誠にする者は,
善を択(えら)びて固くこれを執(と)る者なり。

これは岩波文庫の現代語訳では
誠とは天の働きとしての窮極の道である。
その誠を地上に実現しようとつとめるのが,
人としてなすべき道である。
誠が身についた人は,
努力しなくてもおのずから的中し,
思慮をめぐらさなくてもおのずから達成し,
自由にのびのびとしていてそれでぴったりと道にかなっている,
これこそ聖人である。
誠を実現しようとつとめる人は,
努力をして本当の善を選び出し,
そのうえでそれをしっかりと守ってゆく人である。
となります。

明治の文明開化以前の日本においては,
教養人はみな漢籍(中国の古典)を勉強していました。
これは現代日本のインテリがみな
第1外国語として英語を勉強しているのに似ています。

ですから江戸時代末期の武士にとっては
「誠」といえば
幼い頃から習い覚えた儒教経典「中庸」の一節が
すぐに思い出されたはずです。

西郷と勝は初対面(江戸無血開城の4年前)の時から
意気投合したといわれており,
これはあるいはお互いに相手の背景にある「誠」の思想を
感じとったからかもしれませんね。

江戸幕府と明治新政府の双方の最高権力者が
共通の処世の秘訣としてこの「誠」をあげているのですから,
「問題解決にあたっては小手先のごまかしをやらず,
ただ誠心誠意をもって正道を歩む」
というのが人間関係に対処する
秘訣であることは間違いないでしょう。

「誠」の思想は少なくとも「中庸」の成立した
紀元前3世紀頃(正確な時期は不明)までさかのぼることができます。
それが明治維新までの約2000年間真理であったとすれば,
明治維新から約150年後の現代においても
やはり真理であり続けているのではないでしょうか。

次回のブログではもう一つ西郷・勝に共通した思想背景として
陽明学の存在を考えてみたいと思います。