病院の中庭です。春には一面タンポポの花が咲きます。当医局が「お花畑」状態という意味ではありません。念のため。

2018年12月22日土曜日

「ピリカキアイ」第10回ミーティング

今回は7名の参加者を得て,
「自閉スペクトラム症の特性と,
それに関する自覚,他覚,専門家の意見の違い」
「最近なぜマスコミによく発達障害がとりあげられるのか?」
といったテーマで話し合いがされました。
職場や親類などへの一般的説明としては,
札幌市がWEB上に公開している
「虎の巻シリーズ」などもいいように思われますが,
http://www.city.sapporo.jp/shogaifukushi/hattatu/toranomaki.html
同じ診断名の中でも個人差が大きいため,
自分の長所・短所について「自分の取扱説明書」を作るのも
いいかもしれません。
来週・再来週はお休みで,
次回ミーティングは
年明け1月第2週の1/11(金)午後6時半からの予定です。

2018年12月14日金曜日

「ピリカキアイ」第9回ミーティング

今回は寒い中に参加者9名。
前半は「診断の受容について」というテーマでした。
現在の精神医学における発達障害診断の現状などについて
珍しく医学的解説など行いましたが,
あまり面白くなかったかもしれません。
後半では「精神障害者手帳取得のメリット・デメリット」について
いろいろと興味深い情報が提示されました。
最後に診断受容のタイミングについて,
御家族の方から質問が出されました。
理解・受容には長い時間がかかるケースもあると思われます。
次回は12/21(金)に開催予定です。
年末12/28(金)と来年1/4(金)はお休みの予定です。

2018年12月7日金曜日

「ピリカキアイ」第8回ミーティング

雪が積もる中,7名の参加者を得て開催されました。
「当事者研究について」
「仕事がなかなかできない状態でどうやって生きていくか」
について,様々な意見が語られました。
個人的感想ですが,
今回は少人数でも面白い議論になるものだと驚きました。
医学や専門的知識では解決が難しい生活上の困りごとも,
似たような経験を持つ人達の経験から
解決のヒントが得られることもあるのですね。
次回は12/14(金)の予定です。

2018年11月30日金曜日

「ピリカキアイ」第7回ミーティング

今回は17名の参加者がありました。
16歳英語好き女子の
「生きている意味は?」
という重いテーマに関して,
大人の男女の皆さんからいろいろなアドバイスをいただきました。
好きな英語を活かす方向で考えよう,
資格をとるなど「正しい」英語の勉強と,
おしゃべりなど「楽しい」英語の勉強を上手に組み合わせて
外国へ行きたいという希望を実現しよう,
といった意見が出されました。
次回は12/7(金)午後6時半から,
その場で特に提案がなければ
「愛されるには?」
というテーマになるかもしれません。

2018年11月16日金曜日

「ピリカキアイ」第6回ミーティング

先週はお休みさせていただきましたが,
本日10名の参加者でミーティングを行いました。
お題はまず「就労に際して,履歴書の書き方や,オープンとクローズについて」
障害者雇用促進に関する法律や実情について,
またいろいろな事業所や企業の長所・短所などについて
非常に興味深いお話が聞けました。
また後半では「感情について」。
こちらはかなり抽象的なテーマでしたが,
日本や世界の感情表現について
共通したところや違うところもあると
具体的なお話も出ました。
最後に16歳女子から
「生きている意味」について話題提供があり,
これは詳しくは次次回以降のテーマとなっています。
来週11/23(金)は祝日でお休み。
次回ミーティングは11/30(金)開催予定です。

2018年11月2日金曜日

「ピリカキアイ」第5回ミーティング

第5回ピアカウンセリング「ピリカキアイ」ミーティング終わりました。
参加者12名で,「睡眠について」「ストレスについて」という深遠なテーマに関して(笑),気軽にお話ができたと思います。
資料を持ってきて下さった参加者もおられ,司会者も大変勉強になりました。
来週11/9は都合によりお休みにします。
次回ミーティングは11/16(金)午後6時半から。
次回テーマは,今回話せなかった「感情について」「弁護士さんに関するお話」あたりを考えています。

2018年10月26日金曜日

「ピリカキアイ」第4回ミーティング

ブログ管理担当のまさぞうです。
先ほどピアカウンセリングのミーティング終わりました。
参加者は10人。
お題は
「感情の爆発にどう対処するか?」
「殴って『ゴメン』ですむか?」
といったところで,
犬のトレーニングの話,「しょうがない」と割り切る心構えの話,
アンガーマネジメントの話など,
進行役の私も勉強になることがたくさんありました。
次回は11月2日(金)午後6時半から,
ストレス,感情,睡眠,弁護士さん関連のお話などしてみたいと思います。
興味のある方は誰でも予約・費用なしで御参加下さい。

2018年10月19日金曜日

「ピリカキアイ」第3回ミーティング

先ほど,ピアカウンセリンググループ「ピリカキアイ」の
第3回ミーティングが終わりました。
今回の参加者は13名で,
「自分にあった環境にめぐり会うにはどうしたらいいか?]
「自分の特徴のいいところ,悪いところ」
というテーマで,興味深いお話が聞けました。
発達障害の特性としての苦手に関しては,
「開き直る」という意見が優勢だったようです(笑)。
次回は「感情の爆発にどう対処するか?」というテーマで,
来週10月26日(金)午後6時半から開催予定です。

2018年10月10日水曜日

おとなの発達障害勉強会ビデオYouTubeにあげました

ブログ管理担当のまさぞうです。
プログラム修了者からのアドバイスもあり,
当院で運用中の
おとなの神経発達症治療プログラム
のビデオ(スライドプレゼンテーション)を
YouTubeにアップロードしました。
リンクはこちら

おとなの神経発達症治療プログラムビデオ(共通部分)

とりあえず毎回前半に繰り返している共通部分をビデオにしました。
今後,全6回の後半部分も少しずつあげていく予定です。
興味のある方はご覧になって下さい。
(ピアカウンセリンググループ「ピリカキアイ」のHPからも
リンクをはっています。)

2018年10月5日金曜日

ピアカウンセリング「ピリカキアイ」第2回ミーティング

ピアカウンセリンググループ「ピリカキアイ」の第2回ミーティングでは,
「自分らしく働く,生きるにはどうしたらいいか?」
「発達障害の認知行動療法の体験談」
「発達障害の人に合う環境,合わない環境とは?」
「薬について」
といったテーマについていろいろお話が聞けました。

来週10月12日は都合によりお休み。

次回ミーティングは10月19日(金)で,
「自分に合う環境にめぐりあうにはどうしたらいいか?」
「自分の特徴の良いところ,良くないところ」
などについて話し合いたいと思います。

予約も参加費も不要です。
発達障害などについて相談したい方,
色々な人たちの意見を聞いてみたい方は,
道立緑ヶ丘病院敷地内の音更リハビリテーションセンター談話室へどうぞ。

2018年9月28日金曜日

ピアカウンセリング「ピリカキアイ」第1回ミーティング

ブログ管理者のまさぞうです

先ほど,発達障害などの生活上の悩みを相談するピアカウンセリング「ピリカキアイ(アイヌ語で『美しい光』という意味」の第1回ミーティングが終わりました。

18名の参加者が来られ,就労のこと,お金のこと,飲み会の幹事のコツ,世間話やガールズトークについて,『空気を読む』にはどうしたらいいか,月20万円の収入を得るには?などの話題について,経験談を中心に面白いお話が聞けました。

次回ミーティングは10月5日(金)午後6時半から,
最初のテーマは『自分らしく働く,生きるとは』というお題でいきたいと思います。

ミーティングの詳細についてはホームページ
ピリカキアイ
をご覧下さい。

2018年9月18日火曜日

神経発達症の人のための人間関係マニュアル21(最終回)

ブログ管理担当のまさぞうです。

 約3年前からこのシリーズを休み休み更新しておりましたが,ようやく最終回になりました。
 今回はこれまでに提示してきたL.カナー先生の成功例について,個人的意見をいくつか述べてみたいと思います。

自閉症者は定型発達者と同じような人生を生きる必要はない
 このシリーズでは社会適応に成功した自閉症者(現在でいう自閉スペクトラム症の人たち)の半生を紹介してきました。自閉症の発見者であるレオ・カナー先生は,1943年に最初の症例報告をしてから1953年までに診断した96人の自閉症児を追跡調査し,そのうち11人を「成功例」として,1971〜1972年に2本の論文(本ブログで考察など紹介ずみ)で報告しました。成功の確率を計算すると,11/96=0.1145...で11.5%となります。
 しかしこの論文や他の文献をよく読むと,11例以外にも社会適応が良かった(あるいは良かっただろうと推察される)ケースが3例存在します。
 まずカナー先生が1950年代の論文で紹介した(しかしなぜか1970年代の論文では報告しなかった)ロバート・F(本ブログの症例10),そして1972年の論文で成功例から除外した「数学の天才的能力を持ちながら交通事故で死亡した1例」また1962年まで大学で成績抜群だったがその後の消息が不明な男性1例」です。
 この3例を成功例としてカウントすれば,社会適応良好なケースは合計14例となり,成功の確率は14/96=0.1458...で14.5%となります。
 「11.5%でも14.5%でも大して変わらないじゃないか」といわれれば確かにその通りです。でもカナーの自閉症のうち7人に1人(1/7は14.3%)が専門的援助なしで良好な社会適応を果たしたという事実は,私自身も含めて自閉スペクトラム症に関わる人達にとって大きな意義を持ちます。
 つまり,カナー症候群ともいわれる発生頻度2〜5千人に1人の重症自閉症ですら,専門的援助なしで良好な社会適応を果たしたとすれば,現在見つかってくるような発生頻度100人に1人程度の軽い自閉症(自閉スペクトラム症)の人達は,もっと高い確率で社会適応が果たせるのではないかと推測できるからです(さらに現在は就労・生活支援,ジョブコーチなどの専門的援助もあります)。
 現在のところ自閉スペクトラム症の長期経過については,「多くの場合本人なりのスピードで成長するが,完全に普通の人と同じになること(治癒)は難しい」というのが大方の見解です。ですから「障害を完全に克服して普通の人になる」という目標を立ててしまうと,一生かかっても目標を達成できない可能性が高いです。残念ながら現在最先端の医学をもってしても,自閉スペクトラム症の人たちを「普通の人とまったく同じにする」というのはなかなか実現困難なのです。
 そこで私のおすすめは,「まったく普通の人」を目指すのではなく,「ちょっと変わってるけど,悪い人ではない」というキャラクターをめざすというものです。カナー先生の症例の1つクラレンス・B(本ブログの症例4)の社会性は「対人関係は不器用だが,表面的には適応している」というレベルだったそうです。完全に普通の人になるのは難しいとしても,このレベルなら工夫次第で到達可能なのではないでしょうか?
 また自閉症系の発達の偏りを持つ人達は,自分の弱点を認識し,よく適性を考えて生活環境を作っていく必要があります。サリー・S(本ブログの症例2)は優れた記憶力を持ち,学校の成績は良かったが,看護師になる夢は果たせず,後に病院の検査技師として成功しました。クラレンス・Bは高等教育を受け,会計士として成功しましたが,管理職として働くことはうまくいきませんでした。つまり「能力があっても適性を考えないとうまくいかない可能性がある」ということなのかもしれません。
 私自身これまでそれなりの数の自閉スペクトラム症の方と接してきて,「社会の中で居場所が見つからずに苦しんでいるからといって,その人に能力がないわけではない(能力の高い人でも社会適応が難しい場合がある)」という現実を痛感しています。一般社会になじめず困っている自閉スペクトラム症の方も,自分の適性をよく考えて進路を選べば,苦しみ少なく過ごせる居場所が見つかるかもしれません。

譲歩・妥協することを学んで選択の幅を広げる
 ただ社会の中で居場所を確保するには,周囲の人たちが提供してくれる条件の中で,トラブル少なく生活していくことが必要です。自閉スペクトラム症の特性として「こだわりの強さ」があります。これはよい方に働けば,真面目さ,忍耐力,物事を完璧にやりとげるなどの長所につながるのですが,悪い方に働くと,頑固で融通・応用がきかない,環境変化についていけないなどの弱点になります。就職活動をしても,自分なりのこだわりで希望条件があまりに難しかったり,自分のやりたいこととできることのギャップが大きかったりすると,なかなか仕事は見つからないでしょう。
 カナー先生の成功例の一人であるウォルター・P(本ブログの症例7)は,自発的な会話がないような比較的重い自閉症であったにもかかわらず,立派に一般社会の中で居場所を見つけました。確かに皿洗いと給仕助手(busboy)というのはアルバイトレベルの仕事ですし,母親と同居していて,厳密な意味での自立とはいえないかもしれません。でも彼の障害の重さから考えると,本当に偉いことだと思うのです。ウォルター・Pのような重い自閉症の人でさえ,専門的援助なしで社会適応できたとすれば,最近見つかってくる自閉スペクトラム症の人たちは,多くの場合障害の程度は軽く,さらに種々の就労・生活援助を受ける機会もあるのですから,自分のこだわりから「あれはイヤだ,これもイヤだ」と選択範囲を狭めなければ,誰でも社会の中で居場所を見つけることができるのではないでしょうか

たとえペースは遅くても成長しつづける可能性がある
 自閉スペクトラム症の一般的経過として「自分なりのペースで成長はするが,一般人とまったく同じレベルに追いつくのは難しい」といわれています。しかしこれは逆にいうと年をとってからでも社会性の成長が続く可能性を示しているのかもしれません。
 カナー先生の成功例の一人であるフレデリック・W(本ブログの症例12)は,6歳から29歳まで特別教育の学校(デヴルー学校)で過ごしましたが,その後家族と一緒に住むようになり,作業所や職業訓練所をへて,33歳(!)の時にはじめてフルタイムの仕事につきました。この実例は,定型発達者では20代はじめ頃までにある程度社会性(対人関係能力)の完成が得られるのに対して,自閉スペクトラム症の人たちにおいては,成年後も社会性が進歩する可能性があることを示すものと思われます。
 また米国の有名な自閉症者であるテンプル・グランディンは,40歳代になって「Thinking in Pictures」という本を書くことになり,そのために定型発達者にいろいろ話を聞いて,自分の物事に対する考え方・感じ方が普通の人たちと違うことを発見して非常に驚いたそうです。40代になっても自分について新しい発見があるというのですから,成年に達した後も社会性が成長・進歩することに何の不思議もないといえるかもしれません。
 自閉スペクトラム症の人たちが若い頃なかなか社会性を身につけられなかったとしても,絶望することなく,長い目で成長を促す働きかけを続けたいものです。

専門的知識がなくても日常生活の知恵でやってみる
 自閉スペクトラム症をはじめとする神経発達症(発達障害)は現在,大きな社会的関心を集めており,それに関して多数の本や雑誌が出版され,ウェブサイトが作られ,マスコミ報道がなされています。また精神科医療,教育,福祉などの分野でも,種々の専門的プログラムが開発・運用されています。ただすでに述べたとおり,現時点では神経発達症をなおす魔法のような治療法は存在せず,種々の援助プログラムも一長一短があって,なかなか1つのメソッドですべての人たちのニーズを満たすというわけにはいきません。(例えば,当院でやっているものも含め勉強会系のプログラムは,知的能力に限りのある人達にはあまり有効性は期待できないようです。)
 そこで私がおすすめしたいのは,「発達障害者一人一人の能力,個性,生活環境をよくみきわめて,一般人の『生活の知恵』の範囲内でいいから,生活上の工夫をこらしてみる」というものです。カナー先生のドナルド・T(本ブログの症例11)に関する報告によれば,

 ドナルドは1942年(9歳時)に,自宅から約10マイル(16km)離れたある貸農場(tenant farm)に預けられた。私(カナー医師)は1945年5月(11歳時)にその農場を訪ねたのだが,その時私はドナルドの世話をしているオーナー夫婦の賢いやり方に驚いた。彼らはドナルドの反復行動にうまく目標を設定することで,常同行為にある種の生産性を付与していたのである。例えばドナルドの何でも計測したいというこだわりに対しては,井戸を掘りながらその深さを報告させることで,こだわりを作業を進める励みに転化させていた。また死んだ鳥や虫を集めてくるというこだわりに対しては,ドナルドに農場の敷地の一画を「墓地」として与え,そこにお墓を建てさせていた。ドナルドは一つ一つの墓に簡単な墓標をたて,それに鳥や虫につけた名前(ファーストネーム),小動物の種類(ミドルネーム),そして農場主の姓(ラストネーム)を記していた。例えば「ジョン・カタツムリ・ルイス,生年月日は不明,死亡年月日はxx年x月x日(死骸が発見された日)」という具合である。畑でトウモロコシの列(うね)を繰り返し数えるというこだわりに対しては,トウモロコシ畑を耕しながら数えさせるという方法をとっていた。私が見ている間にドナルドは6つの長いうねを耕した。彼が馬を上手に操ってうねをつくり,さらに畑の端で方向転換する様子は実に見事であった。農場主のルイス夫妻は明らかにドナルドを愛しており,優しく,そして節度あるやり方で彼に接していた。

ということです。この農場主は医師でも作業療法士でもありませんでしたが,自分たちなりの愛情と知恵をもって自閉症児(ドナルド)に接した結果,カナー先生も驚くような「自閉症者援助プログラム」を作ることができました。このドナルド・Tは,その後大学を卒業して銀行に就職し,地域の教会やクラブの一員として立派に社会参加を果たしたといいますから,3歳から約2年間の州立療養所での施設暮らしの状態から考えると,農場での「援助プログラム」は見事に奏功したといえます。
 またカナー先生は社会適応の面で成功した自閉症者について,

 良好な社会適応を果たしたケースでは,十代の半ばで著しい変化が生じた。彼らは他の多くの自閉症の子供達と違って,自分のおかしな所に気づいて困惑し,それを何とかしようと意識的に努力し始めた。そしてその努力を年齢とともにさらに強めていった。(本ブログの成功例00[2016年8月14日分])

と述べています。つまり自閉症の専門家でない一般人の工夫でも,また自閉症者自身の努力のみでも,社会性や生活能力の改善を引き起こせる可能性があるということです。ちなみに「誰もが持っている常識の中に素晴らしい知恵(良知)が含まれている」という可能性については,中国の思想家王陽明に次のようなエピソードがあります(これを古本で確認するのに約1年半かかりました[笑])。

 「人は誰でも生まれながらにして『良知』を持っている」と説いている王陽明に,ある男が「おれの良知を見せろ」と迫った。王先生少しも騒がず「着物を脱ぎなさい」。その男は着物は脱いだが,褌(ふんどし)はとらなかった。「それも・・・」「いやこればかりは・・・」「それそれ,それが『良知』だ」。

 つまり誰もが持っている「知恵」「良心」「常識」「良識』というものが,そのまま『良知』,すなわち君子・仏・聖人たちの(悟りの)境地と同じものだという考え方です。ですからドナルド・Tの世話をする一般の人達の生活の知恵が,専門家であるカナー先生を驚かせたとしても,何の不思議もないわけですね。

 このブログでカナーの成功例を取りあげた理由の1つに,「専門的援助なしでも,自分なりの生活上の工夫の積み重ねで,自閉症の社会適応は改善する可能性がある」と提案したかったというのがあります。王陽明の『良知』説は,悪い方に働くと「ひとりよがりに走りやすい」という問題につながる可能性もあるのですが,それでも社会の中でひとり苦しんでいる発達障害の方々に自信を持ってもらう助けにはなるかもしれません。

 このブログが対人関係に悩む神経発達症(特に自閉スペクトラム症)の人たちにとって,生き方のヒントになれば幸いです。

 最後に,その時々の気分次第で判断が揺れ動く「定型発達者ども」とうまくやっていくコツを伝授しましょう。

 1800年代英国を代表する政治家であったベンジャミン・ディズレーリは,はじめヴィクトリア女王と不仲でしたが,後に関係を改善し,晩年には女王の最高のお気に入りになっていました。その秘訣を問われたディズレーリは,
「私は決して否定しない。決して反対もしない。そして時々忘れる」
と答えたそうです。

 皆さん,参考になりましたでしょうか?先日,ある頭のいい自閉スペクトラム症の青年にこのディズレーリの話をしたら,
「どの秘訣も苦手なことばっかりだ!」
と頭を抱えられてしまいました(笑)。
           以上

2018年9月1日土曜日

ピアカウンセリング「ピリカキアイ」9月28日(金)からはじめます

ブログ管理担当のまさぞうです。
発達障害などの困りごとを相談するピアカウンセリンググループ
「ピリカキアイ」(アイヌ語で「美しい光」という意味)のミーティングを,
平成30年9月28日(金曜日)午後6時30分〜8時30分からはじめます。
参加資格は特になく,当事者,家族,関係者だれでもOK。
緑ヶ丘病院に受診していなくても大丈夫。
予約も参加費も必要ありません。
「自分や知人が発達障害かもしれない」
「発達障害といわれたけど,どうしよう」
「他の発達障害の人たちはどうやって生活しているの?」
「学校,恋愛,仕事,家族関係,お金のことなどで困っています」
といった生活上の悩みについて,
精神科医や,発達障害の先輩たちが知恵を貸してくれます。
(お金は貸せませんが[笑]。)
場所は北海道立緑ヶ丘病院(TEL: 0155-42-3377)の敷地内にある
音更リハビリテーションセンター談話室。
駐車場はたくさんあります。
敷地内で場所がわからなければ,守衛さんに聞いてください。
約束事などはこちらのホームページで。
https://sites.google.com/view/pirikakiai2018/ホーム
十勝地域で最近減ってしまったピアカウンセリングの場を
何とか維持継続したいと思います。
皆様の御参加をお待ちしております。

2018年8月1日水曜日

発達障害などピアカウンセリングの会「ピリカキアイ」

ブログ管理者のまさぞうです。

今年9月下旬頃から,
発達障害を中心とするピアカウンセリングの会
「ピリカキアイ」(アイヌ語で「美しい光」という意味)
を始めたいと考えています。
毎週金曜日PM6:30〜8:30,
北海道立緑ヶ丘病院の敷地内にある
音更リハビリテーションセンターで開催予定です。
とりあえずHPを作りました。

ピリカキアイ(Pirikakiai)

予約不要,会費不要,誰でも参加できる相談の場をめざしますが,
はたして無事スタートできるでしょうか・・・。
うまくいきそうならまたこのブログで告知します。

2018年3月5日月曜日

神経発達症の人のための人間関係マニュアル20(L.カナーの成功例の考察2)

ブログ管理者のまさぞうです。

レオ・カナー先生による自閉症フォローアップ研究論文の考察続編です。

今回の論文は1972年発表の
自閉症児はどこまで社会に適応できるか?」です。
(How far can autistic children go in matters of social adaptation?)

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<論文要約>
 ジョンズ・ホプキンス病院を1953年以前に受診した96名の自閉症児の中で,一般社会によく適応できた9症例(男児8名,女児1名)について報告する。彼らは診断時2歳10ヶ月〜8歳1ヶ月であったが,1971年末の現在においては20〜30歳代になっている。彼らの社会適応は良好で,ほぼ自立して生活しており,多くの場合高等教育を受け,収入のよい仕事についている。社会適応の良否を分けた発達面,環境面の条件や,また行動・気質上の違いについて考察する。

<はじめに>
 われわれは先日,1943年に報告した11例の自閉症児について,その後20年あまりの経過を追跡調査した論文を発表した(1971年発表のレオ・カナー1943年に報告した幼児自閉症11例のフォローアップ研究Follow-Up Study of Eleven Autistic Children Originally Reported in 1943 前回の本ブログ参照)。その調査結果から,11例中2例において,幼少期には他の子供達と大きな違いはなかったにも関わらず,その後良好な社会適応を果たした事実が確認された。そのうちの1人ドナルド・T(このブログの症例11-訳注)は,銀行の出納係として働き,種々の地域活動にも参加して,1人前の市民として尊敬されていた。もう1人のフレデリック・W(このブログの症例12-訳注)は,コピー機を扱う一般就労に従事し,上司から「信頼性,完全性,同僚への思いやりなどの面で傑出した従業員」と高く評価されている。

 彼らの生活歴を詳細に調べると,家族的背景,両親の性格,出生前後の状況,発達の経過,心身両面の診察所見などのあらゆる情報を加味検討しても,将来の社会適応の良否について予見するのは不可能,という結論に達せざるを得ない。すなわち自閉症患者の子供時代の発達・行動・精神状態をどのように分析しても,将来の社会適応レベルを予知することはできないのである。

 われわれはこの結果を踏まえて,追跡調査の対象症例数をもっと多くすれば,より広範囲の情報が得られ,自閉症の「自然経過(natural history)」が明らかになるのではないかと考えた。そこで1972年1月の現時点で思春期を過ぎている元自閉症児の生活状況を調べることにし,1953年以前に当院(ジョンズ・ホプキンス病院小児精神科)で自閉症と診断された患者96名のうち,良好な社会適応を果たした一群のケースを拾い上げてみた。彼らは一般社会の中で働き,自宅でも,職場でも,他の社会生活の場面でも,大きなトラブルを生じることなく周囲の人々に受け入れられている。

 すでに述べたドナルド・T(このブログの症例11-訳注)とフレデリック・W(このブログの症例12-訳注)のほかに,今回われわれは9例の社会適応良好なケースを紹介する。

<このブログでこれまでに紹介した症例1〜9の提示>

<考察>
 1943年にわれわれが世界で初めて報告した自閉症(early infantile autism)の子供達は,29年後の現在(1972年)にはすでに成年に達している。一部の家族はあちこちに移動しているものの,多くの場合,患者本人の現状を把握することは可能であった。われわれはすでに昨年,フォローアップ研究の一環として,1943年に最初に報告された11人の自閉症児たちのその後の運命について論文を発表した1971年発表のレオ・カナー1943年に報告した幼児自閉症11例のフォローアップ研究Follow-Up Study of Eleven Autistic Children Originally Reported in 1943。当院においては1953年までに合計96人の子供達が自閉症と診断されているが,今回われわれは一般社会に適応できた成功例を選んで報告する。すなわち昨年の論文でとりあげたドナルド・Tとフレデリック・Wをのぞく,9例の患者たち(男性8名,女性1名)である。彼らは現在22〜35歳になっており,いずれも1943年時点では他の患児達と同じように,われわれの提唱した自閉症の診断基準を満たしていた。

(1970年以前の小児精神科における予後研究とその限界について述べているが,省略。)

 自閉症児たちのフォローアップは,われわれの病院において常に重要な関心事であった。患児たちの名前,症状,診断,その他の関連する情報はすべて保存整理され,データの追加修正も順次行われた。自閉症は1950年頃までは他の研究者からはほとんど注目されなかったから,われわれはいわば義務として,それらの情報を収集整理していたのである。患者たちは1955年には平均年齢14歳に達し,それまでに蓄積されたデータから予後判定の手がかりとなる知見が得られた。
自閉症児の予後は,5歳までに言葉をある程度使えるかどうかによって大きく異なる(5歳までに言葉が出ない子供は予後が良くない)」(カナー,アイゼンバーグによる1955年の論文)

 子供達の多くは1972年の現在,20〜30歳代になっている。1971年の時点で96例中の2例だけが追跡不能の状態にあるが,われわれは残りの94例に関して集められた情報から,社会適応の面で成功したケースを選び出した。

 96人の自閉症児のうち,11人がいわゆる一般成人として,様々なレベルの通常の社会活動に参加している。すなわち本論文で紹介した9例と,昨年の論文で紹介したドナルド・Tとフレデリック・Wである。彼らのうちで大学卒業者が3人,短大卒業者が3人,短大在学中が1人,高校卒業が1人,11年生修了(日本でいう高校2年生修了−訳注)が1人,私立の「特別な子供達のための寄宿学校」に入った者が1人,そして就労支援施設で職業訓練を受けた者が1人である。

 彼らの現在の職業は,銀行の出納係,検査技師,コピー機の操作員,会計士,農業研究所での肉体労働,事務員,図書館の外国語部門での助手,レストランのボーイ,トラックの積荷監督者,ドラッグストアの助手,そして大学生である。トーマス・G(このブログの症例1-訳注)とヘンリー・C(このブログの症例5-訳注)の2人は軍隊に入ったが,1年以内で名誉除隊となった。

 彼ら予後良好なケースと,今なお孤立状態にとどまり,社会とのつながりを持てない予後不良なケースとの違いは何だろうか?2つのグループの間に人種民族の違い,家族的背景の違い,また原因となりそうな特定の(外的)出来事はなかった。トーマス・Gは20歳を過ぎてから痙攣発作を起こすようになったけれども,予後と関係するような身体疾患も認められていない。

 しかしわれわれは今回報告した成功例において,いくつかの共通点を見つけることもできた。良好な社会適応を果たした症例は,自分たちの中に普通と違うおかしなところ(peculiarities)があることに気づき,自分なりのやり方で周囲の環境に働きかけ,社会的成熟を果たしてきたのである。

 また予後良好なグループでは,全例が5歳までにある程度の言葉を使うことができた。ただこれ(5歳までの言語使用)は良好な予後を保証するものではない。なぜなら5歳までに言葉を使えるようになったケースは96症例中に少なくなかったが,彼らの多くは今回報告した成功例ほどの社会適応を達成できなかったからである。一般に予後良好なグループでは次のような言語発達のパターンが認められた。すなわち,発語がない状態→即時型のオウム返し→遅延型のエコラリア(聞いた言葉をしばらくたってからオウム返しすること-訳注)と代名詞の逆転(自分のことを「私」と言わずに「あなた」「彼」または名前で言うこと-訳注)→強迫的な繰り返し発語→代名詞や前置詞を適切に使った会話。

 予後良好な11例のうちで州立精神病院や知的障害者施設に入ったケースは1つもなかった。われわれの経験からも,この種の施設への長期入所は例外なく子供から成長のチャンスを摘みとる結果に終わっている(カナーによる1965年の論文)。11人の子供達は全員小学校入学まで自宅で過ごし,そのうちの何人かはその後の数年間も自宅にいた。1971年の時点でも3人が家族と同居しており,他の者は里親に預けられたり,寄宿学校に入ったりしているが,いずれも親族と定期的な連絡がある。しかしながら家族との接触・交流が良好な社会適応を保証するわけではなく,自宅で家族と同居している自閉症者がみなこの11人のような社会参加を果たせたわけではない。

 予後良好な11例において繰り返し認められ,予後不良なグループと非常に対照的だったポイントは次の通りである。すなわち社会参加に向かって自己認識を徐々に変化させ,それに応じて自らの行動を修正していくこと

 われわれが出会った96人の自閉症児たちは,生後数年間は誰もがみな似たような特徴を示していた。すなわち外部からの誘導・強制ではない,自発的な孤立傾向。これは彼らにとって生来の傾向であり,子供達はその孤立状態の中でまったく満足していた。彼らは自らの殻の中に閉じこもることを好み,それを邪魔されるのを嫌がったし,外界との接触を最小限にしようと努めていた。年齢が上がるにつれて外からの働きかけをある程度受け入れるようにはなったが,それでも外的刺激への反応の乏しさは重度知的障害児とほとんど変わらないほどであった。後に彼らは徐々に人間というものに馴れてゆき,言語コミュニケーション,自分と他者の識別,自分の儀式的行動における親との協力,また握手,抱っこ,キスなどの日常動作を通じて,他者との共存を学んでいった。この学習過程は保育園や幼稚園でも続けられ,彼らははじめは促されて,後には多少自発的に,少しずつ集団活動に参加するようになった。

 やがて10代の前半〜半ばあたりになると,予後良好な自閉症児たちにはある共通の変化が生じた。すなわち他の多くの自閉症の子供達とは異なり,予後良好なグループは自分の中の普通と違うおかしなところ(peculiarities)に気づいて不安を感じ,それを何とかしようと意識的に努力しはじめたのである。彼らはこの努力を年を追うごとに強めていった。例えば彼らは『自分の年齢の若者は世間から友達を作るように期待されている』ということを発見し,自分には通常の友達関係を作るのが難しいと自覚すると,自らのこだわりから生じる得意分野を利用して他者とコミュニケーションをとる(知り合いを作る)という戦略をとった。

 トーマス・Gはボーイスカウトに参加し,天文学を教えたり,ピアノを弾いたりして周囲に認められた。また水泳サークルやスポーツクラブでも活動した。
 サリー・S(このブログの症例2-訳注)はすぐれた記憶力をいかして高校・大学では良い成績をおさめた。看護学生としては患者との対人関係でつまずいたが,後に検査技師として「化学に関する卓越した能力」で周囲の信頼を勝ち得た。
 エドワード・F(このブログの症例3-訳注)はハイキングクラブでの活動を楽しみ,植物や野生生物に関する知識で尊敬された。
 クラレンス・B(このブログの症例4-訳注)は「人との社会的関わりを強迫的に求めた。対人関係には不器用だったが,表面的には適応していた」。
 ヘンリー・Cは陸軍に入隊した。いくつかの収入の良い仕事についたが,「ギャンブルへの抑えがたい衝動」を感じている。
 ジョージ・W(このブログの症例6-訳注)は「周囲の人達を喜ばせようと過剰に気を使っている」。
 ウォルター・P(このブログの症例7-訳注)はレストランのボーイとして働き,「雇い主に好かれている」。
 バーナード・S(このブログの症例8-訳注)は市街電車博物館の会員であり,そこで線路を敷いたり,車両の塗装をしたり,ちょっとした旅行に出かけたりしている。
 フレッド・G(このブログの症例9-訳注)はその学問的才能で級友たちから尊敬されている。

 彼らの生活史をみると,社会性の欠如(対人関係が苦手)を何とか補おうとする努力が繰り返し認められる。成功した11人の自閉症者はその努力の中で,以前は自己満足のためだけに没頭していたこだわりを,今度は他者とつながる手段として利用するようになっていった。

 成長して他者との関わりの中に入っていった自閉症児たちは,やがて普通の若者にとって最大の関心事は恋愛問題(boy-meets-girl issue)であることを発見する。そこで彼らはその分野でも「周りに順応」しなければならないと感じ,異性との交際を試みるのだが,その試みは散発的であり,そしてあまり長続きはしなかった。実際のところ,彼らは恋愛なしの人生でも大した不満は感じなかったようである。

 ヘンリー・Cは,結婚しない生活を選んだ。何人かの女性が彼の「独身生活を終わらせようとした」が,彼は「長期間誰かに束縛されるのはイヤだ」と独身を貫いている。
 トーマス・Gは,「女の子には金がかかりすぎる」と恋愛には興味を示さなかった。
 クラレンス・Bは,大学時代にある女性と「社会化(socialized)」(交際)したものの,長くは続かなかった。彼は「僕は結婚すべきでしょうが,真剣でもない女性に金をムダに使うわけにはいかないんです」と述べた。
 バーナード・Sは,一度ある女性にデートを申し込んだけれども,やり方があまりに消極的だったために拒絶されてしまったという。
 フレッド・Gは,「試験的に」ダブル・デートをしてみたが,その後同じことを繰り返そうとはしなかった。
 ジョージ・Wは,「女の子は僕に興味を持ってくれない」と最初から決めつけることで,自ら恋愛関係のトラブルを回避した。
 サリー・Sは,成功した11人の中で唯一の女性である。彼女は23歳の時,「万一誰かのことを好きになったら,私は何をしたらいいんでしょう?」と真剣に尋ねた。それまで恋愛感情というものを抱いたことがなかったのである。彼女は「私は同年代の女の子のようには男の子に関心を持てない」と話し,その後,30歳の時にある男性と数ヶ月間交際したが,その関係は彼女が「親密になることを恐れた」ために終わってしまった。

<コメント>
 本論文の題名は「自閉症児はどこまで社会に適応できるか?」である。われわれは今回の長期追跡調査の結果から,かなりの確信を持ってその問いに答えられる。
 ジョンズ・ホプキンス病院を1953年までに受診した96名の自閉症児のうち,数学の天才的能力を持ちながら交通事故で死亡した1例,また1962年まで大学で成績抜群だったがその後の消息が不明な男性1例を除いても,11例が良好な社会適応を果たしていた。彼らは1972年の現在,20〜30歳代の成年に達しており,一般人にまじって働き,社会生活を維持している。
 彼らは幼少期にみられた自閉症の特徴から完全に脱却したわけではないが,10代後半から自己認識と努力を積み重ねて,社会から期待される人間像に合わせるよう自分自身を進化させてきた。彼らは居心地の良い孤独の殻に閉じこもることをあきらめ,そのかわりに自分の得意分野を利用して,様々な趣味のサークルや同好会に入り,対人関係について学んでいったのである。それらのサークルでは,自閉症児が長年にわたって熱中・こだわりの中で蓄積してきた詳細な知識(音楽,数学,歴史,化学,天文学,野生生物,外国語など)が他のメンバーからの尊敬の対象となったため,それが彼らにとって大きな楽しみとなった。また自閉症特有のこだわりが,仕事における綿密性や信頼性として,雇い主から高く評価されることもあった。
 こうして他の人間との共同生活もそれほど恐怖に満ちたものではなくなり,自閉症児たちはかつて周囲の人たちが開こうとした社会への扉に自ら近づき,はじめはおそるおそる,後には少し大胆に,人間社会の中に入っていったのである。いったん社会の中に入ると,彼らはそこでこれまでとは違う楽しみを見つけた。例えば(電化製品などの)物品を所有することもその一つである。成功した11例のうち3例は家族と一緒に住んでいるが,8例は独立して生活しており,中でもトーマス・Gは数年前に自分の家を購入している。成功した11人はすべて自動車を運転していて,交通事故や交通違反の記録はゼロである。

 社会から期待される人間像に合わせて,表面的な知り合いではない,もっと親密な友人や恋人を作ろうとする試みもなされたが,これはうまくいかなかった。ただ彼らは親密な人間関係を築けなくても,そのことで苦しんだり,自分や相手を責めることはなく,むしろ恋人がいないことにある種の安堵感を覚え,恋愛関係は「お金の無駄」「金がかかりすぎる」と考えた。サリー・Sは「親密さ(性的関係)」に恐怖を感じたし,ヘンリー・Cは特定の異性に長時間拘束されることを嫌がった。成功した11例の中で真剣に結婚を考えたケースは1例もなかったようだ。

 以上が良好な社会適応を達成した自閉症者(もと自閉症児)たちの生活歴である。これら成功した11例の半生は,社会適応不良なケースとは全く違ったものになっている。ただ残念ながらわれわれの追跡調査では,その社会適応の良否を分けた理由をはっきり特定することはできなかった。5歳までにある程度言語能力が発達していること,また州立病院や施設に長期収容されていないことは確かに成功例に共通した特徴ではあるが,予後を決定するほどの力は持たない。つまり社会適応不良な者の中にも,この2つの条件を満たしているケースが散見されるのである。

 したがって現時点でのわれわれの見解は,昨年(1971年)発表した論文の末尾にあるものと基本的に変わらない。すなわち「およそどんな病気でも,軽い不全型から重い劇症型まで様々な重症度のケースがみられるものだ。この重症度の違いというものは自閉症においても存在するのだろうか?」

 われわれが報告した11人の成功例は,現在用いられているような自閉症に対する特異的治療法(精神療法,薬物療法,行動療法など)がない時代に成長した。これらの治療を受ければ,われわれの経験した全96症例の予後は変わっただろうか?今後こういった治療法によって,社会適応成功例の割合を増やせるのだろうか?われわれの経験した11〜12%の成功例が,専門的治療なしで良好な社会適応を達成したという事実は,われわれに大きな課題をつきつける。現在では多くの州立精神病院が小児精神科の専門病棟を有しているが,これらの小児精神科病棟に入院した自閉症児は以前よりも良い予後を期待できるのだろうか?現在盛んに行われている生化学的研究が進めば,自閉症の重症度や予後を正確に予想できるようになるのだろうか?

 これらの疑問には重大な現実的意義がある。回答を得るには今後時間を要するだろうけれども,今回のわれわれの報告のような長期フォローアップ研究がそのきっかけになることを期待したい。明敏な読者はすでにお気づきだろうが,この論文を発表するにあたっては2つの目的があった。1つは表題の通り,自閉症児の成功した社会適応の実例を紹介すること,もう1つは自閉症児の長期追跡研究のひな型を提示すること。自閉症児を成年期までフォローするにはますます長い年月が必要になっており,われわれは今後この種の研究が種々の臨床・研究機関によって引き続き行われることを強く希望するものである。
          以上

2018年1月16日火曜日

神経発達症の人のための人間関係マニュアル19(L.カナーの成功例の考察1)

ブログ管理者のまさぞうです。

更新が滞っておりましたが,
レオ・カナー先生による自閉症フォローアップ研究論文の考察です。

まずは1971年発表の
1943年に報告した幼児自閉症11例のフォローアップ研究」から。
(Follow-Up Study of Eleven Autistic Children Originally Reported in 1943)

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<論文要約>
 1943年に「自閉的障害によって情緒的交流が障害されている11症例」として報告した自閉症の子供達について,その後の経過を追跡調査した。患者のこれまで約28年間の半生に関して,発達歴,家族の状況,病状の推移,職歴,現在の生活状況などを示す。近年ますます盛んになる自閉症の疾病分類学的,生化学的研究や,治療的試みについても言及し,さらなる追跡研究の必要性を強調した。

<考察>
 私(カナー)は1943年に「自閉的障害によって情緒的交流が障害された」11人の子供について報告した。私はその論文の中で
「この症候群はこれまで少数例しか見つかっておらず,発生頻度はまれだと思われるが,もっと高い可能性もある」
と指摘した。
 この障害の顕著な特徴は次の通りである。

a) 患児は通常のやり方で周囲の状況や他者と関わることができず,その異常は発達早期からみられる。
b) 同一性の保持(同じことの繰り返し)へのこだわりが強く,それがうまくいかないと不安に駆られる。

 私の報告の1年後,この症候群は「早期幼児自閉症(early infantile autism)」と命名された。

 最初の報告から28年が過ぎ,「早期幼児自閉症(訳注:現在の自閉スペクトラム症)」は今や精神医学における重要な研究対象となっている。自閉症に関しては無数の論文や本が書かれ,世界中の多くの国々で家族組織,特別教育システム,治療・研究施設が作られた。1971年の今,多くの人々の関心を惹きつけているこの自閉症という概念が生まれるきっかけとなったかつての自閉症児について,これまでの経過を振り返ってみることは有用であろう。

(中略。自閉症と小児統合失調症の違い,また自閉症の先天性や心因性について1971年当時の知見が述べられている。)

 11人の自閉症児はみな高い知的能力を持つ両親から生まれており,家族においても強迫的な性格が目立った。両親たちは驚くほど詳しい日記や,子供達に関する何年も前の詳細なエピソードを披露してくれた。それによると,ある子供は長老派教会の25の教理問答を暗誦できたし,別の子供は37曲の童謡を歌えたり,17の交響曲を聞き分けられたりした。また自閉症児の血縁者には,科学,文学,芸術などの分野における抽象的思索に熱中し,人間に対する興味・関心が乏しい人物が目立った。しかしながら,この近親者の高い知能と対人関係の希薄さから,それを自閉症の原因と決めつけるのは誤りである。私は初期の論文で,自閉症児自身が幼少期から孤立を好む傾向を指摘し,このため発達早期の親子関係が自閉症の原因と断定するのは難しい(親子関係が原因なら生後すぐではなくしばらくたってから孤立傾向が生じるはず-訳注)と述べている。

 1943年の時点では自閉症児の将来についての予想は困難であった。医学全般において,病気の経過の予想は,多くの症例の経過を追った後にはじめて可能となる。自閉症も1943年の発見時には誰にとってもまったく未経験の疾患であって,将来の予測に役立つようなデータはなかったのである。しかしながら1971年の現在,我々は約30年間の追跡調査によって,最初に報告した11例のその後の運命を知ることができる。

 11人の自閉症児たちは,その後開発された種々の仮説に基づく治療法のない時代に生きていたことを忘れてはならない。これらの実験的治療法には,精神分析,オペラント条件づけ,神経薬理学,特別教育,両親への心理治療,あるいはこれらの組み合わせがある。これらの治療法に関する長期的有効性の評価についてはさらに時間が必要と思われる。しかしながら現時点では,自閉症の症状改善をめざしたこれらすべての治療法によっても,一時的・部分的な効果以上のものは得られていないようである。

 私が最初に報告した11人の自閉症児のうち,8人が男性,3人が女性であった。この男女比が偶然であったかどうかは発表当時は分からなかった。その後,ジョンズ・ホプキンス病院で診断された最初の100人の自閉症児の統計では,男女比は4:1で男児が多かった。自閉症が男性に多いという傾向はその後報告された他のすべての研究においても認められている。またジョンズ・ホプキンス病院をはじめて受診した年齢は,男性2〜6歳,女性6〜8歳で,男性の方が若い傾向がみられた。

 11例のうち,9人がアングロ・サクソン系であり,2人がユダヤ系であった。3例はひとりっ子で,5例が2人同胞の長子,1例が3人同胞の長子,1例が2人同胞の第2子,1例が3人同胞の末子であった。これを見る限り,同胞の数や生まれた順番は自閉症の主要な原因ではないようである。

 身体的には11人の子供達はみな大きな問題はなかった。2人において扁桃腫大(アデノイド)が認められたが,これは早い時期に手術によって切除された。5人の子供達はやや頭囲が大きかった。数人の子供達は歩行や粗大運動において不器用さが認められたが,細かい運動における筋肉の協調性は全例において非常に良好であった。脳波検査では1例だけ異常があり,その子は大泉門が2歳半まで閉鎖せず,ジョンズ・ホプキンス病院受診から3年後に右半身優位の痙攣発作を起こした。フレデリック・W(このブログの症例12-訳注)は左脇に第3の乳首があったが,それ以外に先天的な身体異常を有するケースはなかった。子供達はみな賢そうな顔つき(intelligent physiognomy)をしており,他の人のいるところでは真面目な,あるいは不安で緊張した様子を呈する一方,独りで好きな物品を与えられていると至福の穏やかさを呈した。

 全体にこれら11人の自閉症児は,症状の程度などに多少の差異はあったものの,4〜5歳頃までは非常によく似た行動パターンを示した。孤立性(aloneness)と,繰り返しを好む(stereotype)というのが彼らに共通した2大特徴である。しかしながらその後30年が経過した現在,孤立性と繰り返しを好むという共通の特徴は残っているものの,彼らの運命・生活には大きな違いが生じている。

 我々はポール・Aとアルフレッド・Nに関しては現在の状況を知ることができなかった。ポールの母親は我々の病院以外にも何人もの専門家を受診したが,いずれも1〜2回の診察で中断してしまい,1945年以降の消息は不明である。アルフレッドの母親は息子を11ヶ所もの公立・私立の学校に預けたがいずれもうまくいかず,さらにその後いくつかの居住型施設を試してみた。アルフレッドは作業療法に良い反応を示したのに母親はそれを評価せず,結局自分である種の「学校」を設立して,そこで息子の世話をすることにした。

 11人のうち2人,ジョン・Fとエレーヌ・Cはてんかん発作を起こした。ジョンはジョンズ・ホプキンス病院の初診から約3年後にてんかんを発症し,何度か住居を変わった後,1966年に死亡した。エレーヌの発作は20代なかばから始まり,39歳の現在も「抗てんかん薬と安定剤」を服用している。1950年にラッチワース村にあるニューヨーク州立学校に入学した時には彼女の脳波は正常であった。エレーヌはその後ハドソン川ニューヨーク州立病院に入院し,現在もそこで生活している。

 リチャード・M,バーバラ・K,バージニア・S,チャールズ・Nはいずれも施設に入所することになったが,そこでは入所後間もなく彼らの優れた能力の輝きは失われてしまった。はじめのうちこそ彼らの好む孤独を求めて周囲とぶつかったり,現状維持を求めて変化に抵抗したり,優れた記憶力で周りを驚かせたりしたこともあったが,しばらくすると彼らは邪魔者のない孤立状態にすっかり適応してしまい,生命の炎が消えたような状態(nirvana-like existence)に陥ってしまった。そして知能検査においてある程度の反応は得られたとしても,彼らの知能指数(IQ)はいわゆる重度知的障害というレベルにまで下がってしまったのである。

 残りの3例においては運命はそれほど過酷ではなかった。ハーバート・Bは,現在もなお言葉を話せず,普通人にとっての完全な幸福を手に入れたとはいえないが,ある程度有用な人生を送っている。彼はある農園に引きとられ,そこの主人について回るうちに,やがて日常の雑用を一部自分で担当できるレベルに達した。後にその農園主が死去して未亡人が老人ホームを経営するようになると,ハーバートは自分の繰り返しへの執着を結果的にうまく利用して,親切で頼りになる助手になったのである。

 ドナルド・T(このブログの症例11-訳注)とフレデリック・W(このブログの症例12-訳注)の2人は真の成功例といえる。ドナルドはある貸農園に預けられたが,そこの経営者夫婦は専門家顔負けの生活支援を行い,ドナルドの無意味なこだわりを生産的な方向にうまく誘導して,さらに彼と家族との交流を絶やさないようにした。ドナルドは今,銀行の出納係として普通に働きながら,プライベートではいくつかの地域活動のメンバーであり,1人前の市民として尊敬されている。フレデリックは特別教育で有名なデヴルー学校に入った。彼はそこで単純化・習慣化された生活と教育によって徐々に成長し,音楽や写真撮影の才能もあって,少しずつ一般社会に参加できるようになった。1966年からは両親のもとに戻り,保護的就労や職業訓練を受けて,コピー機の操作を習得している。彼は現在通常就労で働いており,上司の評価は「信頼性,完全性,同僚への思いやりといったあらゆる点からみて,すばらしい職員」と非常に高い。

<コメント>
 本論文では1943年に報告した11例の自閉症児のその後の経過を報告した。彼らの就学前の行動パターンは非常によく似ており,同一の症候群(自閉症)を有することが示唆された。その後約30年間にわたる追跡調査の結果については,対象症例数が少ないために統計学的解析は難しい。ただ彼らが幼少期にはとてもよく似た状態像を呈していたのに,後年ある者は悲劇的な悪化をきたす反面,一部の者は通常就労と表面的・限定的ではあるが良好な社会生活という大きく違った予後をたどっているのは大変興味深い。

 今回の追跡研究をみれば,自閉症児にとって(1940〜60年代の米国の)州立精神病院への入院が終身刑に等しいということは明らかだろう。そこでは彼らの驚くべき記憶力は失われてしまい,病的だがある程度活動への動機づけになっていた繰り返しへの執着は入院生活のルーティーンの中に埋没してしまう。また貧困な対人関係の中で周囲への興味関心も薄れてゆき,患児はほぼ無為無意味な生活パターンの中に退行してしまうのである。一般に自閉症児は州立病院に入院すると,彼らよりも障害の重い知的障害児か,あるいは成人の精神病者たちと同じ空間で生活することになる。実際,今回報告した中の2症例は,年齢が上がるにつれてこの2つの環境を経験することになった。ある州立病院の責任者はこれら自閉症児の処遇について「我々はただ親の代わりに保護しているだけだ」と述べた。しかしながら最近ようやく,ごく少数の州立精神病院において,適切な訓練を受けた治療スタッフによる小児専門病棟が開かれるようになっている。

 これら自閉症児の運命の明暗を見た時,「社会適応不良な子供達がもし違った環境で生育していたらもっと良い生活を送れていたのではないか?」あるいは「今や有能な銀行員であるドナルド・T(このブログの症例11-訳注)や,コピー機の操作係として働いているフレデリック・W(このブログの症例12-訳注)も,州立精神病院に入院させられていたら暗い運命をたどったのではないか?」という疑問がわいてくる。この疑問に対する答えはおそらく「イエス」だろう。しかし(生活環境以外の)何らかの未発見の要因が自閉症の予後に影響を与えている可能性も否定できない。およそどんな病気でも,軽い不全型から重い劇症型まで様々な重症度のケースがみられるものだ。この重症度の違いというものは自閉症においても存在するのだろうか?

 自閉症の発見から約30年が経過し,治療に関する多くの試みがなされてきた。しかしながら現在のところ,全ての症例に対して症状を持続的に改善するような治療法(治療環境,薬,その他の技法)は見つかっていない。そもそも自閉症においては,なぜ本稿で紹介したような予後の多様性が生じるのだろうか?予後を予見できるような何らかの手がかりは存在するのだろうか?

 自閉症に関するこのような多くの疑問のうち,一部のものについては近い将来正答が得られるかもしれない。近年進歩が著しい生化学的研究は,自閉症の本態について新しい視点を提供してくれるかもしれないし,最近では複数分野の研究者が連携して研究を進めるケースが増えているため,最新の遺伝学的研究や動物行動学の知見からヒントが得られるかもしれない。例えば今や患者の両親の役割は,親子関係において子供と対極の立場にいるだけという従来型のモデルから脱して,子供との相互作用という面が注目され,治療共同体の一員と考えられてきている。つまり自閉症児の親は子供の障害の元凶ではなく,単なる処方箋のもらい手でもなく,「〜すべし。〜すべからず」といったルールを押しつけられる存在でもない。彼らは主体性を持って子供の治療に関与する共同治療者なのである。

 本論文では自閉症の最初の報告から30年間の経過を追跡したが,その間,残念ながら診断基準の改善以外には大きな進歩はみられなかった。自閉症に関してはこれまで様々な理論・仮説・推測が提唱され,症状の軽減をめざして現在も多くの治療法が試みられている。それらの最終的な評価には今後の研究を待たなければならないけれども,もし将来我々に続く研究者たちが自閉症に関する新たな20〜30年の長期フォローアップ研究を行うならば,その時には今回の報告よりも希望に満ちた予後を示す事実や材料が示されることを期待したい。
       以上